成功者ほど好きなことをしている
余裕がある人に、
好きなことばかりしていて嫌なことをやっていない人が多いと感じませんか?
そして、余裕がある人がよく
「なるべく好きなこと、得意なことをするといいよ。」と言ってくれませんか?
それどころじゃない時、「それが出来れば苦労しないんだよ」と思ってそのままの「〇〇ねばならない」という状態を我慢し続けていませんか?
私にもその気持ちはわかります。人よりいい待遇を受けないで苦労すれば、誰だってわかります。
そう思って、私たちは、うまくいっている人の言葉を聞き入れないで頑張っているのです。
でも、いつまで経ってもそんな余裕のある人たちより余裕が出来たでしょうか?
次から次へと我慢するところには我慢することが集まって余計に大変になるだけで、タフになってさらに重責が回り積もり積もって深刻化するのです。
耐え続けてタフになって重責に耐えても、それが好きなことならいいのですが。
好きでないなら、我慢しないで断ることが大切です。
アクセスコンシャスネス(制限を外します)
好きなことをするのは努力が必要
好きなことをするのだから苦痛ではなく、努力と思わない、それが好きなことです。
気が付いたらやっていることだから努力なく出来ることです。
でも、そんな自然な好きなことでも、なるべく好きなことをする努力が必要になります。
本当のわがままとは違います。
大人になると私たちは、好きではないけれど「やらなければならないこと」が増えてきます。
やりたくもないけど、やらなければいけないことです。
それで私たちは、好きなことを忘れて「やらなければならないこと」をやってそんな状態にイラ立ち、人にも「やらなければいけないよ」と嫌なことをさせる大人になっていきます。
うまくいっている人がいつも嫌なことをやっていないかというと、嫌なことをやらない努力をしています。
嫌なことの代わりに他の好きなことをやって代用するとか、そういう環境から距離を置いたり、人に任せたりします。
つまり、放棄している訳ではないのですが、努力して放棄しているのです。
そこだけ見れば、その漬けは回ってきているかもしれませんが、その嫌なことにフォーカスしないのです。
そして我慢してやっている私たちは、その漬けを見て「やっぱりやらないといけないんだ」と思います。
見ているところがつまらないところなのです。
もちろん、それが面白いなら嫌ではないことなので、その人にとっては問題ありません。
仕方ないからどうにかする努力
好きなことをするには、思い切って好きなことをやってしまえばいいのですが
いろいろ気になって出来なくなるんだと思います。
一旦忘れて好きなことに没頭すれば解決です。
もしゆっくり落ち着いて好きなことに取り組みたいなら、嫌なことをやらない努力をして
やるけど少しで済むようにする、とか交代にする、とか好きなことでよい方へ向かわせる、とか。
よく本でも「好きなことだけする」とありますが、私たちは頭で理解しただけで本当にそう出来ているでしょうか?本当に好きなことだけでなくとも、なるべく好きなことだけする努力をしてその割合を増やすくらいはしているでしょうか?
つまり、仕方ないのはみな同じだけれど、どれだけ積極的に好きなことを出来るかは努力次第なのです。
すごい人は、ふっと思いついたら衝動買いもして、後から「だからふっと思いついたんだ」とほんのささいな直観まで無視しないで行動します。
